一宇治城記事の一覧です
JR伊集院駅から南西に位置する城山公園。桜の季節には山の斜面から頂上付近は無数の桜で埋め尽くされる。頂上にある展望施設に登ると、眼下はまさに桜の絨毯、続いて日置市街地が一望でき、さらにその向こうには桜島の山頂が眺望できる。
標高は約144メートルあり、通称鉄丸山とも呼ばれている。城山公園という名称から察せられるように、戦国期には山城として機能していた。
室町期以前までは一宇治城と呼ばれることが多かったと史料で確認されている。築城に関与したのは伊集院氏で、その後、この城を含む南薩地域は支配権争いが激化する。守護島津氏に限らず薩州家の勢力下に入る時期もあるなど、不安定な状況が続くが、天文5(1536)年3月には、島津忠良と貴久親子が当城を攻撃して回復している。
その後は島津貴久が約14年間、この城を拠点としている。そのために当城には貴久の子である義久や義弘なども入城し生活することになる。彼らの実母である雪窓院の菩提寺は伊集院城下に創建されていて、島津義弘は伊集院を気に入ったのか、この地に建立されている妙円寺を自らの菩提寺としている。
城の規模としては島津貴久の時代には、南北で約600メートル、東西で約650メートルあったとされており、本丸に相当した神明城や釣瓶城、伊作城、南之城などそれぞれに拠点となる曲輪があった。
大規模なそれぞれの平坦地を活用して桜が植えられていて、市民のみならず多くの人々の憩いの場となっている。また、公園駐車場にはザビエルの像もある。島津貴久が当城にあった頃、ザビエルがキリスト教布教のために鹿児島入りしており、その会見の地がこことされている。ただ確定はされておらず各々の研究によって他の候補もあることを申し添えたい。
とはいえ有名なザビエルの物語が花に添えられ、桜の美しさを楽しみながら歴史物語を想像してもよいだろう。広々とした敷地だけに、密にならずに花見散策を楽しんではいかがだろうか。