2008年5月 琉球人松(鹿児島市吉野町)

200805

衹園の洲から磯浜に向かって進むと、海岸にせり出すように2本の松がある。

江戸時代、薩摩藩は琉球王国を支配下におき、現在の長田中学校付近に琉球館を設け、琉球からの使者が在勤していた。

当時、砂糖の生産や中国からの外交情報などを通して、両国は密接な関係を築いていた。

琉球からの船が鹿児島港に舵を切るときに目印とした、いわば灯台の役割を果たしたのがこの琉球人松である。

また、近世城下町鹿児島の風物詩だった錦江湾から眺める磯街道沿いの桜を、琉球の人びともこの松の下に花見舟を繋ぎ、心ゆくまで歌や踊りを続けたという。

残念ながら、松食い虫により枯れてしまい、1953年やむを得ず切り倒した際に年輪を数えたところ、樹齢140年ほどであることが判明した。

翌年、姫松が植えられ、1本が石灯籠の左手に根づいた。

1973年には、沖縄日本復帰1周年を記念して那覇市より琉球松が贈られ、右手に植えられた。

近代化の扉をいち早く開けさせた琉球貿易なしに、薩摩藩の幕末維新の活躍はなかった。

琉球人松は、まさに激動の時代を静かに見つめ続けた産業遺産といえよう。