霧島山のひとつである栗野岳の山腹に位置する八幡地獄。
地獄の名称にふさわしく多量の水蒸気が地中から噴出しており、近づくと地球の息吹を感じさせてくれる。麓の栗野駅周辺からも特に冬場には、白煙が山裾から立ち上がる姿を望むことができる。
現在のように案内看板などがない時代には、こうした白煙が目印となり、その地に辿り着くことができたと想像される。
この噴気帯は、江戸期には明礬山とも呼ばれていた。
栗野岳温泉の施設のある場所と八幡地獄の中ほどに山神が祀られていて、それらに明礬の採掘をしていたことが刻まれている。そして明礬山の安全のために、豊後国から訪れた中西伊左衛門が元文2(1727)年11月吉日に寄進した灯籠や、安永8(1779)年に安置された山神などが並んでいる。
明礬採掘には、温泉や噴気帯の多数確認される豊後国(現在の大分県)から来た人物らが関与していて、その採掘の安全を祈願するために山神などを建立したことが読み解れる。ちなみに明礬は薬品などに利用されており、人工的に化学製品が作れない頃には貴重とされていた。
西郷隆盛も西南戦争の一年前にあたる明治9(1876)年4月に栗野岳温泉を訪れている。
この地から池上四郎という人物に宛てた手紙が残されていて、そこには湯治客で賑やかだけれども、自分のことを知らない人ばかりなので気を使わなくてよいということや、居心地の良さが「仙境にて御座候」という言葉で記されている。もし翌年の戦争で亡くならなければ、何度も足を運んだ温泉になったのではなかろうか。
さて、このような由緒のある温泉地に広がる八幡地獄。
鹿児島県には温泉多しといえども、噴気帯を周遊できる場所はまれである。
特に最近は、より散策しやすいようにボードウォークも整備され、安全に見学できるようになっている。
栗野岳の森林のなかに悠々と立ち上がる白煙の眺めながら、活火山としての霧島山を体感してはいかがだろうか。