2021年9月 出水麓武家屋敷群(出水市麓町)

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かつての薩摩藩領にあたる鹿児島県全部と宮崎県の一部には、今も「麓」と呼ばれる武家屋敷群が点在し、その名残りを色濃く伝える。

武士が居住していた地域だけに、屋敷の入口に武家門と呼ばれる格式ある屋敷門があったり、石垣や生垣で囲われた整然とした町割になっていたりと、趣きある屋敷群が観光名所となっている地域もある。

そのひとつが出水麓である。

出水麓は、戦国期まで薩州島津家などが居城していた出水城という城山から連続する丘陵地帯に位置し、現在は公共施設とともに武士の子孫である方々の家などが立ち並んでいる。玉石垣と生垣が整然と続く町並みは美しく、また美しく整えられた庭や武家の暮らしが感じられる母屋などの敷地内が公開されている屋敷もある。

出水麓の特徴は、まず薩摩藩内の麓では最大級であるということ。

広大な麓が置かれた理由は、出水は熊本藩との国境に位置している点にあり、防備面を重視し配置された武士の数が多く、必然としてその居住空間が拡大した。他地域が麓を形成する際には参考とされている。

また、国境に位置し主要街道沿いにあることから、参勤交代の際には藩主も来訪し、現在の出水小学校の場所にあった地頭仮屋が、その際の宿泊所となっていた。

出水小学校の正門は、島津義弘公が帖佐(現在の姶良市)の館から移設した武家門が使用されており、地頭仮屋の雰囲気を現在に伝えてくれている。

街路も直線ではあるが、それぞれが交錯する地点は直角ではなく、整然とはしているものの見通しは効かないようになっている。

また、麓の屋敷群がある場所は高屋敷とも呼ばれ、近くを流れる広瀬川沿いに比べて高台に位置し、防災面からみても秀逸な立地といえる。

こうした物語は、武家屋敷群の中・地頭仮屋跡の真向かいにある「出水麓歴史館」という施設で学ぶことができ、また武家屋敷群を牛に引かれてのんびり楽しめる観光牛車も休日に運行されている。

令和元年に「薩摩の武士が生きた町」として日本遺産にも認定されており、まさに薩摩藩が存在した頃に触れるには、最適な地域のひとつといえる。