鹿児島市親子つどいの広場「なかまっち」のすぐ近く、三方をビルに囲まれた一画に「俊寛之碑」と刻まれた石碑がある。
この一帯は、1900年ごろに埋め立てられるまでは「俊寛堀」と呼ばれる船着き場であった。近くの交差点や交番の名まえが「御着屋」なのは、その名残といえる。
俊寛の名が広く知られるようになったのは、琵琶法師による口承文学として有名な『平家物語』である。
1177(治承元)年、平氏政権打倒を企てた鹿ケ谷の変の首謀者として、俊寛・藤原成経・平康頼が鬼界ヶ島(薩摩硫黄島)に流罪となるとき、この俊寛堀から船出したと伝わっている。
翌年、恩赦船がやってきたが、俊寛だけは許されず生涯を島内で暮らした。
当時、甲突川は現在の中町あたりに河口があり鹿児島湾に注いでいた。
17世紀に城下町の拡大を目的とした川筋直しで甲突川は現在の清滝川の流路に変えられた後も、堀の役割を担っていた。
2012年のNHK大河ドラマは『平清盛』が放送される予定である。これをきっかけに、俊寛をはじめ中世の鹿児島の歴史にも関心が高まることが期待される。