鹿児島の幕末から近代に輩出した偉人といえば、西郷・大久保に代表される政治・社会史に多いイメージだが、藤島武二や和田英作、橋口五葉といった画壇にも多くの活躍の足跡が残されている。
その先頭に立っているのが、黒田清輝である。
1866(慶応2)年、東千石町に生まれる。上京して東京外国語学校を卒業後、法律学を修めるために1884年にフランスに留学するものの、パリで多くの人びとと交流を深めるうちに洋画家の道を志すことを決意。
帰国後、1896(明治29)年に白馬会を創設するとともに、東京美術学校(今の東京芸術大学)に新設された西洋画科の初代教授に就任し後身の指導にあたった。
また、所属派や作風にとらわれず出展ができる機会を作ることを政府に働きかけ、1907年に第1回文部省美術展覧会(文展)の開催を実現するなど、「日本洋画家の父」と呼ばれる活躍をみせた。
2010年10月に鹿児島市が設置した天文館観光オブジェ事業の一環で、黒田の像が建てられた。1914年に父の見舞いのため帰省していた折に桜島の大正噴火を目の当たりにし、その様子をスケッチするために鹿児島港に歩を進める姿を表している。
市立美術館に所蔵の「桜島噴火連作6点」はその迫力を感じさせる力作として知られる。