鹿児島市清水町の名の由来となった歴史ある名水である。
天保年間に編纂された薩摩藩の地誌書『三国名勝図会』によれば、平安末期から鎌倉初期に活躍した仏師・運慶の作と伝わる仁王の木像が祀られていた。また、「夏は冷に、冬は温なり、府下第一品の水」であり「酒家亦多く此水を以て酒を醸ずるに、酒品佳勝なり、茶を煎ずる亦然り」と評され、遠方や近隣を問わず名水を汲みに来る人が絶えなかったという。
藩の祈願所として歴代藩主の厚い信仰を集めた大乗院(現・市立清水中学校)の門前から清水馬場までの約200m続く坊中馬場には、10ほどの寺院が連なり、その出入り口に仁王堂が建てられていた。
この付近は、島津家の菩提寺・福昌寺や、初代島津忠久から5代貞久を祀った本立寺などの古刹も多く、江戸期には門前町としてにぎわっていた。
また、2008年3月に清水町町内会が御堂に掲示した案内板によれば、篤姫の実家にあたる今和泉島津家の下屋敷がこの清水に隣接して建っていた。幼少期の於一もここの水を飲んだのではないかと言われている。
現在は、1960年から鹿児島市水道局が取水を開始し、災害時の給水拠点にもなっている。今でも1日3,000㎥の湧水量を誇り、往時と変わらず人びとに親しまれている。