天降川沿いの温泉地である日当山温泉郷は、西郷隆盛が最も愛した湯治場として知られている。
その理由としては、他の温泉地と比べて来訪回数が多いことだろう。正確な回数は詳らかでないが、おそらく8回ほどは訪れているようだ。
そんな日当山温泉における西郷来訪の記録として最も古いものは、慶応2(1866)年3月頃とされている。
それは同じ霧島市にある栄之尾温泉で湯治をしていた小松帯刀が、京都にいる大久保利通に宛てた手紙のなかで確認できる。
4月1日付の手紙で「西郷、税所も日当山え入湯、吉井、坂本も塩浸え入湯にて、両日跡より拙方え参られ、賑々敷事に御座候」とある。西郷は、税所篤とともに日当山温泉に湯治に来ているというものである。また、同時期に坂本龍馬は妻お龍と新婚旅行と称させられる旅で、塩浸温泉に吉井友実とともに来ており、自分の滞在している栄之尾温泉まで会いに来てくれたことも理解できる。
よく読むと、西郷と税所も坂本龍馬らといっしょに栄之尾温泉まで訪れたようにも解釈できるが、同時期の小松帯刀の日記には、西郷と税所の名前はなく、坂本と吉井の名前だけあることから、断言はできない。ただ、日当山温泉に西郷が滞在していることは確かなようだ。
しかし、慶応2年の3月から4月といえば、ここに登場する人物すべてが多忙なはずの時期でもある。
大久保は、4月14日には大坂城において幕府の老中である板倉勝静を訪ねて、薩摩藩は長州への出兵を拒否する建白書を提出するなど忙しく過ごしている。そんな折にみんな揃っての温泉入浴は、なかなか余裕のある行動といえそうだ。
ただ、その後に西郷はもとより、小松帯刀や坂本龍馬も大きな仕事をしているので、その英気を養うための休息であったともいえよう。
さて西郷は、日当山温泉で湯治以外になにをして過ごしていたのであろうか。
当時犬を飼っていた記録はないので、積極的に狩りを行ったかは分からない。手軽にできるものといえば、やはり釣りであろう。
明治維新後に日当山温泉を訪れた西郷は、天降川で釣りをしていたとの逸話が残っている。西郷は天降川の流れを見つめながら、もしかすると時代の流れを読んでいたのかもしれない。