奄美大島の北西部に位置する名瀬港は、喜界島や徳之島、さらに鹿児島やトカラ列島からのフェリーも往来し、周辺にはビルや住宅が林立する奄美諸島を代表する港である。
かつて奄美諸島が琉球王国の支配下にあった時代にも「名瀬湊」として繁栄していたが、当時は港入口の大熊漁港が中心であったと考えられる。江戸後期になると薩摩藩の大島代官所が設置されたことで、その後の発展に繋がることになる。明治に入ると鹿児島県の大島支庁が置かれ、奄美諸島の政治・経済・文化の中心としての地位を確立する。
周辺を小高い山々に囲まれていることから、昭和40年代以降の人口の集中に対して、海岸部を次々に埋め立てて住宅地を形成し、現在は外国からの大型船舶も寄港できる波止場が完成した。
港の北東に位置していた山羊島は、その名前の通り山羊が生息する景勝地だったが、道路整備や観光開発により、地続きとなった。
山羊島の向こうに広がるビルと住宅の街、さらに背景の緑濃き山々を眺めると、美しい海が広がるといった従来ある奄美のイメージとは違った「奄美らしさ」を感じさせてくれる。
そのような名瀬港や奄美諸島は、今年(2013年)本土復帰60周年という節目の年を迎える。