多くの武士を抱えた薩摩藩は、鹿児島城下に限らず、地方にも家臣を配置する「外城制度」によって江戸時代を通じて藩内を統治してきた。外城に住む武士は、郷士として地域の政治に関わりながら農作業などにも従事し、屋敷の維持と農業生産に努めた。
その外城の中心は「麓」と呼ばれ、どの地域にも規模の違いはあれ、武家屋敷が並んでいた。なかでも出水は熊本藩との国境に位置し、日本有数の厳しさを誇る関所にも近かったことから、最大級の麓が形成され、数多くの家臣が住まい、彼らを統括する地頭には優秀な人材が藩から派遣されている。
現在も当時の雰囲気が伝わるこの地には、約60ヘクタールの中にきっちりと区割りされた街路が続き、約150戸の屋敷が整然と並んでいる。見学公開されている竹添邸は、その建造が幕末期のものであることから、約150年前の頃の郷士の生活ぶりをうかがい知ることができるといえる。
また、他の屋敷も大河ドラマのロケ地になったり、観光散策のための牛車が楽しめたりする。参勤交代の際にご当主などが滞在したお仮屋は、麓の南側に位置する小学校の敷地にあたり、そこには当時からのお仮屋門が現存している。
島津斉彬や篤姫などもくぐったことがある門と思うと感慨深い。身を置くだけで江戸時代の人々に思いを馳せることのできる場所である。