2015年2月 五代友厚誕生地(鹿児島市長田町)

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今年(2015年)は慶応元(1865)年の薩藩英国留学生出発から150年にあたる。昨年(2014年)はいちき串木野市に留学生記念館も誕生しており、ますます注目を集めそうだ。また、この機会にあわせるかのように、大阪では留学生を引率した五代友厚を主人公にした映画の製作に向けて動きがあるとも聞く。明治維新150年に向けて、毎年のように鹿児島ゆかりの人物が注目されるなか、今年も歴史が身近なものとして検証され、楽しまれ親しまれる年であってほしい。

さて、その五代友厚が誕生したのは天保6(1835)年であり、今年は生誕180年ということにもなる。

天保6年は篤姫や小松帯刀、松方正義や坂本龍馬、土方歳三も誕生した年にあたる。今となっては華やかに映る年に、五代は鹿児島城下の城ヶ谷、城山の裾野で産声をあげた。父は儒学者の五代秀堯で、江戸後期の代表的な鹿児島の地誌「三国名称図会」の編纂者でもある。それだけに家庭においても学問的環境が整っていたといえ、通称は才能があるということで才助であった。

明治維新後の五代の功績は鹿児島よりも関西方面で著しい。特に大阪実業界に身を置いてからは、大阪株式取引所や大阪商法会議所の創立、大阪商業講習所(現在の大阪市立大学)の設立など、とにかく多数の実績を残している。

ただ、現在はその誕生地は、意外とひっそりとした雰囲気に包まれる。記念碑のみが建ち、当時の名残などはほとんどないが、この地で五代がその波乱に満ちた人生の礎を築いたと思えば感慨深い。