今年(2016年)は、薩長同盟締結や坂本龍馬とお龍が鹿児島入りした慶応2(1866)年から150年目にあたる。
京都の小松帯刀邸において同盟締結が行われたのが1月22日。
その2日後に坂本龍馬は、伏見の旅籠・寺田屋において幕府役人の襲撃を受け負傷した。すぐに伏見の薩摩藩邸にかくまわれ、そして大坂を経由して鹿児島城下にお龍とともに到着したのは3月10日。
手の負傷を癒すには温泉治療が有効であることを西郷隆盛らにアドバイスされた龍馬は、お龍とともに3月16日から霧島へと向かう。この旅が日本最初の新婚旅行と表現され、約1ヶ月の余暇と治療を兼ねた日々が始まる。
旅のクライマックスはやはり霧島山こと高千穂峰への登山であろう。霊峰高千穂の存在はその頃も全国区で、ある程度治療に目途のついた3月29日に頂上を目指す。
その行程に関しては、龍馬が後に長崎から姉の乙女あてに送った手紙に詳細に記されている。そこには山頂付近にはミヤマキリシマが美しく咲いていたことや、火山礫などに覆われた狭い御鉢が歩きにくかったこと、山頂にある逆鉾を引き抜いたことなどが記載されていて、当時のふたりの情景が目に浮かんでくるようでもある。
また、登山前に同じく霧島に湯治に訪れていた小松帯刀から、弁当の代わりとしてカステラを渡されていたことを、のちにお龍が語っている。高千穂峰でカステラとは、ハイカラな龍馬らしいエピソードであり、語り継ぐ魅力のひとつとして花を添えてくれるようでもある。