2016年9月 森有礼ゆかりの加世堂湾(出水郡長島町山門野)

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熊本県との境に位置する長島は、入り江や岬、そして湾が発達した独特の形状をしている。また、本島周辺には諸浦島や伊唐島、さらには獅子島といった島々もあり、景観の美しさには心揺さぶられるものがある。

その島の東側中央の海岸沿いに位置する湾に加世堂湾がある。

湾の入り口は狭く、結構奥深い地形であることから、古来より船舶の風よけ、潮待ちに利用されていたという。また、長島は古墳の島とも呼ばれており、島内の至る場所で古墳が発掘されている。この加世堂湾も例外ではなく湾の岬には横穴式石室を持つ加世堂古墳がある。さらに、現在港が整備されている集落の中央部にも石室の跡が保存されていて、古代人も思いを込める大切な場所であったことが理解できる。

現在は漁港として数十隻の漁船が停泊する静かな漁港で、時々行き来する船をのんびり眺めてみたい気分にもなる独特の落ち着きが漂っている。

こうした静かな港に、実は英国留学生のひとりでもあり、後に文部大臣に就任した森有礼に関する変わったエピソードも伝わっている。

森有礼は加世堂湾に、上京する際の船待ちとして立ち寄ったという。鹿児島から長崎を経由する船便であったのだろう。その船待ちの夜に港のとある家で酒宴が開かれた。森有礼はその席で、地元の女性たちに鉢巻をさせられ、いやがるなか踊りまでさせられたという。加世堂の人たちは、森とは知らずにそうした行動に出たということで、後々森が明治政府の要人と知り茫然となったという。

仕事に対して妥協を許さない厳しい森有礼が、どんちゃん騒ぎのなかに身を置かれたことを想像するだけでなんだかおかしくなってくる。

この逸話の真相はさておき、加世堂湾にはユーモアを包み込む不思議さがあるようだ。ちなみに、森が加世堂湾に立ち寄る可能性がある時期は、明治3(1870)年9月28日で、この日に鹿児島を出港し長崎経由で東京へと向かっている。