三方限(さんぽうぎり)とは、上之園、高麗、上荒田のことを指し、この地の出身名士を顕彰する石碑が甲南中学校の施設隣接地にある。
この三地域は、甲突川の南側に位置しており、江戸時代には下級武士の屋敷が広がっていた。顕彰碑が建立されたのは昭和10(1935)年のことで、文学者および歴史学者でもあった徳富蘇峰こと徳富猪一郎が碑文を担当している。この碑文で顕彰している出身名士は48人とされていて、碑文には西郷隆盛と大久保利通を筆頭として、歴史の教訓とするために文武名臣の旧跡を整備したことが述べられている。
西郷隆盛の出身は下加治屋町になるが、屋敷が上之園にあった時期があることから、ゆかりの人物として名前が刻まれている。また大久保利通についても、公園として整備されている屋敷跡は西郷同様に下加治屋町にあるが、生まれは高麗町であった。英国留学生関係では、アメリカなどの外交官として活躍した吉田清成が上之園町、カルフォルニアのぶどう王となった長沢鼎が高麗町(現在は上之園町)の出身として名前がある。
他にも町別で紹介すると、上之園町には、天保6年生まれで福島県や栃木県で鬼県令と揶揄された三島通庸、兵学に優れ戊辰戦争などで活躍した伊地知正治の誕生地が、西南戦争で西郷軍の幹部であった篠原国幹の屋敷跡が現在の中央駅近くにあった。高麗町には、島津斉彬の側近のひとりである関勇介や、米国留学生のひとりである江夏仲左衛門、桜田門外の変に関係した有村次左衛門・雄助らの誕生地がある。上荒田町には、集成館事業にも関わった中原猶介、日本海軍の基礎を築いた川村純義らの誕生地がある。
このように、偉人ゆかりの地が多くある環境は、まさに人物輩出密集地として知られる加治屋町のようでもあり、立派な顕彰碑が建立されたこともうなずける。また、それぞれの誕生地に石碑などが建立されているところもあるので、それらを訪ね、三方限を歩くのも楽しいかもしれない。