2008年9月 旧鹿児島高等農林書庫(鹿児島市郡元1丁目)

200809

鹿児島の基幹産業は農業をはじめとする第一次産業。

その振興に人材を輩出した教育研究の拠点が、鹿大農学部の前身にあたる鹿児島高等農林学校であった。

1909年、盛岡に次ぎ全国で二番目の高農として開校。初代校長を務めた玉利喜造は「南方発展」を掲げ、第一次産業発展の礎を築いた。

1911年に石造の書庫を建て、1928年に鉄筋コンクリートに建て替えた。

戦時中、鹿児島空襲で高農も標的となり、本館をはじめ学校施設も焼失。書庫に隣接した講堂も着火したものの、学生の消火活動で難を逃れた。

1949年、新制の鹿児島大学が高農の地に誕生。

かつての建物が次々と姿を消すなかで、最後に残ったのがこの書庫であった。

さらには鹿児島における20世紀前半の鉄筋コンクリート建築としても貴重であるとして、2006年に国の登録有形文化財に指定された。

建物自体は次第に老朽化し利用されない状態が続いたが、2004年から鹿大総合研究博物館の常設展示室として再び日の目を見ることとなった。

高農や第七高等学校学生のノートや英国製の計算尺、戦時中に東京で製造された星球儀等の戦火を免れた貴重な資料が展示されている。