1901(明治34)年6月、県内初の鉄道となる鹿児島線・鹿児島~国分駅(現在の隼人駅)間が開通。
その7年後、鹿児島駅と重富駅の間に心岳寺駅が誕生した。
心岳寺駅の名は、大石様(おいしさぁ)として慕われ、のちに豊臣秀吉の九州征討に際して切腹を命じられた島津歳久を祭る心岳寺に由来する。
彼の命日にあたる旧暦7月18日におこなわれていた心岳寺詣りは、近世から続く伝統行事であった。心岳寺駅はその参拝客のための臨時駅として賑わったという。
心岳寺は、明治初年の廃仏毀釈により廃止され平松神社となった。
そこから竜ヶ水側に300mほど進んだところに、開業当時の駅ホームがほぼ原形のまま残っている。
線路からの高さは、ステップが蒸気機関車用のため今のそれより低い。また、ホームは両端のスロープや中間あたりの小階段も確認できる。
一時は海水浴客のために使用されたこともあったが、心岳寺詣りの衰退に歩を揃えるかのように1967年に廃止された。
歳久の祖父・忠良(日新公)を祭る武田神社の加世田詣り、兄・義弘を祭る徳重神社の妙円寺詣りとならぶ「鹿児島三大詣り」の一つに数えられた往時の面影は、静かにこのホームが伝えている。