ザビエル(1506~1552)は、スペイン生まれ。
16世紀の欧州は宗教革命が起こり、プロテスタント(新教)が誕生し、カトリック(旧教)は新たな布教活動の地を求めアジアに進出を図った。
1547年、ザビエルはマラッカで日本人のヤジロウ(1511?~50?)と出会う。
彼は、もともと南蛮貿易に従事していたと考えられる。
日本での信者獲得をめざし彼の故郷・鹿児島に向かい、1549(天文18)年8月に稲荷川河口の祇園之洲に到着した。
15代当主の島津貴久から布教活動を許され、福昌寺の忍室住職と宗教論争をおこなうなど約1年、鹿児島に滞在した。
ザビエルは、その間に自ら創設したイエズス会の会員に書簡を送っている。
「彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がない。他の何ものよりも名誉を重んじる。大部分は貧しいが、武士もそうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていない。」(参照:岩波文庫『聖フランシスコ・ザビエル書簡抄』)。
ここに登場する日本人とは鹿児島の人々のことである。
京都や豊後をへて、1552年に離日し中国での布教を試みるが志半ばで病没。
彼に同行していたのが、薩摩出身のベルナルド(?~1557;本名不詳)である。翌年ポルトガルの首都リスボンに到着し、そこから北へ約200km離れたコインブラの修道院で生活した。
1555年にはローマ法王・パウルス4世と謁見した。彼は、欧州の地をふんだ初の日本人である。
1999年10月、日本へのキリスト教伝来450周年を記念してザビエルら3名の像が建てられた。