2009年8月 川路利良(鹿児島市鴨池新町)

200908

1834(天保5)~1879(明治12)年。

鹿児島城下近在の比志島村(現在の鹿児島市皆与志町)に生まれる。

1864(元治元)年、京都禁門の変での活躍で西郷吉之助に見出され、3年後に兵具隊長となる。

1871(明治4)年、西郷に同行して東京に赴き、明治新政府の安定化を図るために警察制度の確立に従事した。

翌年9月から1年間、西郷の推薦をうけて欧州を視察し、帰国後、警察制度改正についての建白書を提出した。これをもとに1874年1月に東京警視庁が誕生し、初代大警視(現・警視総監)に就任する。

その前年、いわゆる征韓論に敗れた西郷や江藤新平(初代司法卿)らが下野し、薩摩出身者の官職辞職が続出した。

川路は、自らを見出してくれた西郷に対しては、警察制度の創設と充実こそが恩義に報いることになると新政府にとどまる。

その後は、内務卿となった大久保利通の厚い信任のもと、右大臣岩倉具視の暗殺未遂などの事件解決に奔走する一方、巡査制や交番制度を採用し、巡査の身分を証明する警察手帳の交付をおこなうなど、市民に近い警察のあり方を生涯希求した。

1877年の西南戦争では、抜刀隊を組織し薩軍と対峙した。

1879年1月、再度渡欧するものの病となり、同年10月に死去。

麑城警友会懇談会の尽力で没後50年を記念して1931年に誕生地碑が建立される。

1999年、県警察本部前に本像が建てられたことで、本格的に鹿児島での「名誉回復」がなされたといえよう。

台座に刻まれた「聲(こえ)ナキニ聞キ形無キニ見ル」は、彼の語録をまとめた『警察手眼』にある一節である。