1835(天保6)~1924(大正13)年、下荒田生まれ。極貧の武士でありながら、島津久光の側近として頭角を現し、長崎では最新式の英国軍艦を半額の8万両で購入。残りの8万両は倒幕後の新政府で準備するという約束で合意し、春日丸と命名。のちに戊辰戦争や明治政府の主力艦として活躍した。
松方が最も知られるのは、近代資本主義確立に尽力した経済政策の数々である。福岡藩による大量の贋札発行を摘発し大久保の信任を高め、地租改正事業を推し進めた。
1881(明治14)年に大蔵卿に就任してからは、西南戦争後のインフレ処理のため、いわゆる「松方デフレ」と呼ばれる不換紙幣の一掃に着手した。翌年日銀を設立し、兌換紙幣である日本銀行券への一本化を断行。深刻なデフレは世論の不評を買ったが、大幅な財政改善につながり、金融の対外的信用や産業資本の成長につながった。
第4、6代総理大臣として内閣を率い、大蔵大臣は松方が兼務し金本位制を採用するなど、「日本の資本主義育ての親」として後世に高く評価されるようになった。
十三男六女あり、八男・正熊の娘であるハルは、エドウィン・O・ライシャワーに嫁いでいる。
2008年6月、生誕地近くの武之橋たもとに(財)米盛誠心育成会の寄附による銅像の除幕式が挙行された。
鹿児島出身の内閣総理大臣は、ほかに明治憲法発布時の黒田清隆、関東大震災後の東京復興を推進した山本権兵衛の2人がいるが、松方正義像が建立の第一号となった。