2010年12月19日、県歴史資料センター黎明館の前庭に、天璋院篤姫の像が建立された。
鹿児島市では、乃木静子(太平洋戦争時に金属供出され台座のみ残る)・丹下梅子に続く女性単身の像である。
天璋院は、1835(天保5)年に上町で生まれ、1853(嘉永6)年、11代藩主・島津斉彬の養女となり鶴丸城に入った。3か月ほどをここで過ごしたのちに江戸の芝薩摩藩邸に到着。1883(明治16)年に没するまで二度と故郷の地を踏むことはなかった。
像の碑文に「私事一命ニかけ是非ぜひ御頼申候事ニ候」と記されている。
これは、天璋院が徳川家存続を薩州隊長あてに認めた嘆願書の一節である。
東征軍の総指揮は西郷隆盛が執っており、結果として江戸城無血開城に大きな役割を果たしたと評される。
2008年に放送されたNHK大河ドラマ『篤姫』は、鹿児島の幕末維新期の歴史に、西郷・大久保の両雄のほか、小松帯刀、幾島といった多くの人物に光をあてる契機となった。
鶴丸城は、1604(慶長9)年に完成。屋形造りで背後の城山を立ち入り禁止とし防御の役割を果たした。
明治初年に撮影された古写真には、御楼門と今も往時の面影を残す石橋のようすが映し出されている。