2010年10月 近代薩摩焼発祥の地碑(鹿児島市吉野町)

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英語やフランス語で「Satsuma」といえば、「薩摩焼」の意味をもつ単語になっている。

Satsumaが世界にその名を知られるようになったのは、1867(慶応3)年のパリ万博。

きっかけを作ったのは、11代藩主の島津斉彬が興した集成館事業で、集成館に隣接する島津氏別邸・仙巌園内に御庭焼窯を築き、白薩摩に西洋の技法を応用することで、細やかな絵付けができるようになった。

牡丹をモチーフにした白薩摩の数々は、幕末から明治初期にかけてヨーロッパで巻き起こったジャポニズム・ブームをリードする存在となる。

現在、海外にある日本製の伝統的な焼き物のうち、薩摩焼の流通量がもっとも多いといわれ、いまでもSatsumaの名は愛好家を中心に世界に知られている。

1998年10月、薩摩焼400周年を記念して、韓国で採られた火により東市来町共同登り窯が点火され、翌月には小渕恵三内閣総理大臣と韓国の金鍾泌国務総理による植樹がおこなわれた。

2003年には、指宿でおこなわれた日韓首脳会談の帰途、盧武鉉大統領が美山の沈寿官窯(鹿児島韓国名誉総領事館)を訪問するなど、民間から国レベルに至るまで両国友好の証しとして、薩摩焼はいまも御庭焼をはじめ県内各所で作られている。