2010年6月 潮音館の石蔵(鹿児島市清水町)

201006

潮音館の名は、かつてここにあった寺院・潮音院に由来する。

潮音院は、1638(寛永15)年に大乗院(現在の清水中学校一帯)の末寺として創建された。

一時荒廃していたものを覚恵和尚が再興し、その後、潮音院きっての徳僧として知られるようになった。密教関連の書物を多く執筆した学者でもあった覚恵和尚の著書は、高野山金剛峯寺の修行僧らから「善作の書」として重宝されたという。

近くの多賀山付近から潮音館のあるあたりは、かつて景勝地・田之浦として知られ、城下町方面への眺望は、「薩隅二州の腹に入り、一大内海となり、湖の如し、此浦其西岸に在り、潮来れば江上白く、日落れば天地青し、煙船其間に往来して、頗る趣を資く」と記されるほどであった(1843年刊行『三国名勝図会』)。

廃仏棄釈前の幕末期に姿を消し、その跡地には重富島津家の別荘がおかれた。

1918(大正7)年に米蔵として建造されたのがこの石蔵である。久しく未利用となっていたものを、1990年に改装がなされカフェとして新たな息吹が吹き込まれた。

妻の上部には、丸に十の字を施した石がはめ込まれ、窓のひさしになっている楣石(窓と水平に渡された石)などの石材加工の高い精度が評価され、2007年、国の登録有形文化財となった。