2012年3月 月照上人遺跡の碑(鹿児島市金生町)

201203

鹿児島銀行本店敷地の広馬場通りを歩くと、近衛文麿の揮毫による「月照上人遺蹟之碑」の文字が目に入ってくる。ここには、勤王の僧として知られる清水寺の月照が宿泊した旅館「俵屋」があった。

1858(安政5)年、一橋慶喜を次期将軍に推していた11代藩主・島津斉彬が急逝したとき、江戸幕府の実権は大老・井伊直弼が握り、安政の大獄の最中にあった。多くの一橋派の公家や志士らへの弾圧が激しくなっていた。

斉彬の命を受け京都で活動していた西郷吉之助は、島津家とつながりの深い近衛家から清水寺の僧月照をかくまうよう頼まれ、薩摩藩内に戻ってきたものの、藩庁は幕府との関係悪化を懸念しそれを拒み、月照に日向送りの処分を下した。

日向送りとは、実際は薩摩藩境で斬り捨てとする処分を意味することから、両者は失望し、鹿児島港を出帆し途中吉野村三船沖で鹿児島湾に身を投じた。月照は亡くなったものの、吉之助は息を吹き返し翌年に奄美大島へと流されている。

この碑は、第七高等学校造士館の森田長次郎教授の解説文碑とともに1940年に建立された。ここからほど近い南林寺町の南洲寺に、月照の墓がある。