ジメサアとは「持明様」の鹿児島弁の読みで、亀寿姫の法名である。西郷隆盛像の建つ築山の裏手にひっそりと建っている。
1571(元亀2)年に16代島津義久の子として生まれ、のちに18代家久の正妻となった。
いまでは、亀寿姫の命日にあたる10月5日に鹿児島市役所の女性職員が化粧直しをおこなうのが、1954(昭和29)年にこの地に市立美術館ができて以降の恒例行事となっている。
亀寿姫の言い伝えは、容貌に恵まれたというものもあれば、まったく反対のものまであり真相は定かではない。
この石像はかつて大乗院(いまの市立清水中学校一帯)の境内にあり「白地蔵」と呼ばれていた。白粉を塗ると願いが叶うとか、あるいは百日咳の神様として信仰を集めていたという。
現在の地に移されたのはいつかはっきりしないが、廃仏毀釈後とされる。市の広報誌にある「現在の市立美術館は旧市役所で、昭和4年に当時の樺山可也市長がこの石像を」発見したとの記述に従えば、しばらくの間、この石像は所在不詳の年月があったことをうかがわせる。
これらの来歴から、この石像がジメサアとして祭られるようになったのは、昭和以降に定着してきたことがわかる。