1937(昭和12)年5月23日、西郷隆盛銅像の除幕式が挙行された。
没後50年を記念して建立が決まり、市内新屋敷町出身の彫刻家で忠犬ハチ公の制作者としても知られる安藤照が手がけた。
ちなみに東京の上野公園にある西郷像は高村光雲の作で、1898(明治31)年に一足早く完成している。
この西郷像は、愛犬を連れうさぎ狩りに出かける姿をしているが、鹿児島の像は初代陸軍大将の正装をしている。
一時、西南戦争の賊将であり朝敵とされるも、1889年の明治憲法発布によりその名誉は回復されていたが、郷土での軍服姿による像の誕生こそ、まさしく西郷の存在が維新の三傑としての地位を不動のものとしたと位置づけられよう。
1928年、東郷平八郎が安藤に像の制作を依頼する。
西郷の身体的特徴の把握を試みたり、銅像の研究のために渡欧したりするなど、完成までに8年の歳月を要した。
土台となる高さ約7mの築山には、根占から運ばれた150個の花崗岩が配置され、背景となる城山と調和するよう工夫が施されている。
戦時中に金属供出の対象となる話題があがったとき、市民による猛反対の声が巻き起こり、消失の難を免れ現在に至っている。