鹿児島市立清水中学校のある一帯は、嘉慶元(1387)年に7代当主島津元久が築いた清水城の跡である。
平地に居館、裏山を天然のシラス地形を利用した要塞とした構造となっていた。城の周辺には、家臣や町人が暮らし、福昌寺や諏訪神社などの門前町とあわせて上町地域に城下町が形成されていった。
その後、1550(天文19)年に15代当主島津貴久が内城(現在の大龍小学校一帯)に拠点を移し、清水城の居館跡に大乗院が建立された。
島津氏の祈願所として、歴代守護・藩主の信仰が厚く、坊津の一条院とともに領内の真言宗の総本山的な役割を果たした。ここから南に向かって約200m続く坊中馬場には10ほどの支院が連なり、仁王堂水のあたりに仁王堂が置かれていた。
大乗院境内に入る目の前の稲荷川に架けられたのが、大乗院橋である。はじめは木橋だったものを、甲突川改修の際に五大石橋を架けた肥後の岩永三五郎の手により、1842(天保13)年に石造の太鼓橋になったという。
1988年7月の洪水で一部が流失したことから解体され、1990年3月にコンクリート橋ではあるものの外装を自然石張りにするなどの工夫を凝らして、往時の面影が再現されている。鹿児島市内の河川に架かる現役の太鼓橋は、永田川上流の明楽寺橋など数少なくなってきており、再建された現・大乗院橋の姿も貴重なものとなった。