鶴嶺高等女学校は1896(明治29)年に島津サエ子が創設。
1909年に平之町からこの地に移転後は島津治子校長のもと、教育綱領を「薩藩古来ノ美風ヲ尊重シ内剛外柔ノ婦徳ヲ養イ、以テ現代ニ処セシム」と定め、教育にあたった。内剛外柔とは、いかにも当時の世相を反映しているようで興味深い。
明治も半ばを過ぎると、ようやく鹿児島県内でも女子教育の機会が高等小学校卒業後に実業補習学校(鹿児島・高山など)の創設で拓かれるようになり、鶴嶺女学校はその先駆け的な私学と位置づけられる。
1920(大正9)年に4年制の高等女学校となり、鹿児島の女子教育の草創期から大きな役割を果たしてきた。
1923年には、久邇宮邦彦王と同俔子(島津忠義の子)妃、良子女王(のちの香淳皇后)が同校を訪問したり、1936(昭和11)年の昭和天皇来鹿による大演習の際は公使が派遣されたりするなど、創設時から島津家との深いゆかりがあった。
1940年に鹿児島市へ移管。約50年の間に6,339名の卒業生を送り出した後、その伝統は新制の市立鹿児島玉龍高校に引き継がれている。
この記念碑は、東郷平八郎の揮毫による「良子女王殿下御台臨記念碑」のとなりに1974年に建立された。