1923(大正12)年、鹿児島県庁舎が現在の中央公園一帯からかごしま県民交流センターの地に移転する工事が始まった。
翌年、この跡地の一角に、当時皇太子であったのちの昭和天皇のご成婚記念事業として鹿児島市公会堂が着工。大阪商工会議所会頭も務めた建築家・片岡安(1876~1946)の手により1927(昭和2)年に完成した。
戦前は市電上町線が公会堂前から七高前を経由する路線であり、公会堂前にも電停が設けられていた。また、前月号で紹介した作家・向田邦子は、公会堂で開催された、日華事変戦死者の鹿児島市出身者合同市葬で、山下小学校の児童代表として弔詞を読んだこともあった(向田邦子作『薩摩揚』所収)。
1945年6月17日、鹿児島大空襲により2千人を超える犠牲者が生じた。市街地のほとんどが焦土と化し、公会堂も外部を残して焼失した。その後、復旧工事を経て1949年に鹿児島市中央公民館として再生。1950年から約20年間は市営結婚式場としても利用された。
2005年に国の登録有形文化財となり、いまも現役で活躍する近代化遺産である。