昭和39年10月、日本では初めてとなるオリンピックが東京で開催される。
それに合わせて、8月21日にギリシャのオリンピアで採火が行われ、聖火が当時は12ヶ国の13都市をめぐり、9月9日に鹿児島に到着した。そこから日本国内をめぐって東京を目指すためである。
当時は沖縄が日本に返還される前であったことから、日本最南端に位置する鹿児島県が起点となり、鴨池空港に9時に到着した。空港には鹿児島県の各界代表やスポーツ団体の代表、さらには児童代表ら約6000人が出迎え、歓迎式が行われた。
聖火を受け取ったのは当時の知事である寺園勝志氏で、その後、陸上選手の第一走者に手渡されて県庁まで走り始めた。こうして鹿児島県庁に聖火が到着したのは9時39分のことであった。この日は、聖火は鹿児島県庁で一夜を過ごす。
翌日9月10日の朝8時半、鹿児島県庁を聖火は出発。国道3号を順調に聖火は走り、途中ではそれぞれの地域ごとの歓迎を受けることになる。
伊集院町では妙円寺詣りを思わせる武者行列、串木野市ではまぐろの町らしく大漁旗、川内市では大綱が登場して沿道は聖火の通過とともに沸いた。聖火は串木野駅を11時59分、川内市の水引中学校前を13時53分に通過している。そして15時44分に阿久根駅前に到着した聖火は、阿久根市に一泊することになる。
現在、阿久根市総合運動公園にある阿久根聖火台は、この阿久根市に聖火が県下では2回目となる宿泊をしたことを記念するモニュメントであり、近年までは到着した阿久根駅前に設置されていた。
到着した9月10日の夜には、阿久根市において「聖火の夕」が盛大に開催されている。そして9月11日の8時半に阿久根駅を出発した聖火は出水市を通過し、10時40分に熊本県との県境で熊本県側に引き継がれて行くことになる。
阿久根聖火台は、日本で初めて開催されたオリンピックの鹿児島県における地域の高揚を今に伝えてくれるものである。