鹿児島県内で最大の河川といえば川内川。それゆえにその河口は、鹿児島県内でも随一の広がりを呈している。
東シナ海につながる河口周辺は、京泊や船間島、さらに久見崎といった港が点在している。
京泊は、江戸時代初期には参勤交代の際の藩主出帆の港にもなっている。また、慶長11(1606)年にはドミニコ派の宣教師デモラレスによって教会が建立された。もっともすぐに藩主家久によって国外追放となり、約3年で長崎へと移転している。
船間島には海上安全のための神社が、新田神社の末社として建立され、対岸の久見崎から新船や藩主の船が出港する際には、神楽が奏でられていた。
久見崎港は、造船を行える軍港として特に戦国時代から発展してきた港である。慶長2(1597)年、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、島津義弘公の軍船はこの港から出陣し、対馬経由で朝鮮半島を目指している。この久見崎には、この出来事を伝える伝統芸能「想夫恋」が現在でも地域の人々によって継承保存されている。この踊りは、出兵した兵士の妻らが夫を帰らぬ夫を想いながら踊ったことに由来し、男物の羽織を身につけて踊られるのが特徴である。
港の入口付近には、日寄山と呼ばれる気象観測を行っていた丘もあり、軍港があったことを静かに伝えてくれる。
県内では最長の河川橋である川内河口大橋は全長が632メートルもあり、川内らしく大綱のデザインが欄干にほどこされている。甑島行きの新型の高速船が、今年(2014年)の4月から久見崎対岸の川内港から就航される予定になっていて、河口の雄大な景色を目にする人もこれまで以上に増えることだろう。