2016年3月 西郷隆盛到着の枕崎港(枕崎市港町)

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安政6(1859)年から奄美大島に潜居していた西郷隆盛は、文久元(1861)年に召還の命が下る。

その頃の薩摩藩は、島津久光によって幕政改革を本格的に促す動きに着手していた。それは義兄である島津斉彬の遺志を受け継ごうとするものであり、人事を大きく刷新させることになる。

まず、小松帯刀が5月に側役に就き、10月には大久保利通も小納戸役を任ぜられる。そうしたなか、朝廷とのパイプ役となる人材の登用も必要となり、かつて京都で活躍していた西郷の人脈や手腕が求められることになった。

そこで11月21日に奄美大島にいた西郷に召還状が届き、翌年の1月14日に竜郷を出航する。しかし、天候不良などにより、口之永良部島を経由しながら枕崎港に到着したのは2月11日のことだった。その当時の船はイサバ船と呼ばれる漁客船で、すぐに天候に左右されるような船だった。

ようやく本土に到着した西郷は、港近くの立志清右衛門宅に宿泊することになる。その頃の枕崎は鰹節製造も始まり、近海で漁をする船などが寄港する漁港として栄えていた。

港には西郷到着当時のものではないが、古い石造りの階段式岸岐が残っている。西郷はわずか1泊しただけで、翌日には陸路で鹿児島城下に入り、上之園の借家に落ち着くことになる。

枕崎滞在はわずかであったが、地域の人々はその物語を大切に伝えようと、立志邸のあった場所に看板を設置している。