2016年1月 出水市護国神社の記念碑群(出水市麓町)

201601

薩摩藩の外城制度を伝える武家屋敷群は数あるが、中でも最大規模の出水麓。公開されている武家屋敷に今も多くの人々が訪れ、江戸期からの地方郷士の暮らしぶりに触れている。

その整然とした美しい街並みのなかに出水市護国神社があり、神社の境内に三つの大きな記念碑が並んでいる。そして記念碑は、出水麓で活躍した幕末期の郷士の物語を伝えてくれる。

まず一番左側にある記念碑は、肱黒友善の遺徳碑である。題額は寺島宗則によるもの。肱黒は江戸時代後半に藩校造士館に学び、優秀であったが、体調を崩し、地元・出水において子弟教育に尽くしている。

真ん中は、その肱黒友善に学び、やはり造士館に入学した出水の秀才、河添白水の記念碑である。白水の優秀さは江戸への遊学を許されるほどで、さらに東北への巡検も行っている。そして江戸の高輪において島津斉彬に面会し、経験を踏まえて時事問題などの講釈も行っているほどだ。後に出水に戻り、学問所である「耕読館」を設立、出水における人材育成に力を注いでいる。

最後に、一番右側にあるのは伊藤祐徳の遺徳碑である。伊藤祐徳は、嘉永6(1853)年のペリー浦賀来航に際し、出水郷士を引率して江戸防衛にあたった。また、戊辰戦争の際にも各地を転戦し、数々の武功を挙げている。

それぞれの記念碑からは、幕末という時代の変化激しい時期に、出水において日々精進し力量を発揮した郷士ら姿が垣間見えるようである。出水麓の穏やかな街並みの魅力とともに、触れてほしい文化財である。