世界自然遺産の島である屋久島。
世界中から人々が訪れるこの島だが、西郷隆盛ゆかりの地があることはあまり知られていない。確かに西郷自身が屋久島に居住した記録はないのだが、船で立ち寄り一時滞在しており、そのちょっとのことなのだが、西郷隆盛ゆえに上陸記念の碑が建立されている。
その場所は、屋久島では最北部に位置する一湊。独特の地形から天然の良港として栄え、現在も屋久島を代表する漁港のひとつとして、特産のサバやトビウオなどの魚が盛んに水揚げされている。また、港に隣接する地域にはサバ節を製造する工場が立ち並び、集落に独特の薫りを漂わせている。
さて、西郷隆盛が一湊に滞在したのは文久2(1862)年6月。
この年の1月に奄美大島龍郷から召還されたばかりの西郷であったが、その後島津久光の命に反して京都へと向かったことから捕縛され、山川港の船中にとどめおかれることになる。そして、西郷に遠島の藩命が下ったのは6月6日。まずは徳之島へ配流されることになり14日に山川港を出航。ただ、船は黒島方面へ流され、18日に一湊に到着した。
この際にはその後喜界島へ流された村田新八も一緒におり、西郷の一湊滞在は、この村田新八の「宇留満日記」に記載されている。
25日に出航して再び徳之島に向かうまでの一週間、日記にはないが港周辺に広がる砂浜に腰をおろす西郷の背中などを想像してみる。西郷といえども、緊迫した政情に関われない焦りや今後への不安もあったのではないか。そのような不安定な気持ちの西郷の目に、屋久島の美しい風景がどのように映ったのか気になるところである。