錦江湾と桜島を望む絶景の公園があることでも知られる寺山。寺山は鹿児島市街地から約12キロの山間地にあたり、様々な歴史物語が今に伝わっている。
ひとつが世界文化遺産登録で話題の寺山炭窯跡であり、そこに至る遊歩道沿いにあるのが今回紹介する吉野開墾社の跡である。この施設の開設は明治8年4月であり、明治6年の政変で下野してきた西郷隆盛が深く関わっている。この学校で学ぶ人々は、西郷とともに東京から鹿児島に戻ってきた元陸軍教導団生徒が中心で、青年たち約36人が、昼間は開墾、夜は宿舎での学習を目的として集っていた。
設立当初、宿舎は寺山ではなく中別府という場所にあったが、開墾地から離れていたためその後寺山に移築されたという。また、西郷は、この学校のために農具や馬、さらには農作物が収穫できるまでの食料として一年分くらいの米や味噌などを調達し、自らも農作業に関わったという。
現在、跡地には「南洲翁開墾地遺跡」と正面に記された記念碑があり、その碑文には付近に島津斉彬公が集成館事業のためにつくらせた炭窯跡があることや、斉彬公の知遇を受けた西郷隆盛が、同じ場所で別の時期に活動をしたことを感慨深いつながりであるとした一文も見受けられる。
この学校も西南戦争による西郷隆盛の死によって閉じられてしまうが、湧水などによる池や周辺の豊かな植生が美しい場所である。